梵我一如の意味と様々な宗教との関係と境地

梵我一如は、あらゆる宗教が求めてやまない解脱そのものの境地で、宇宙との融合、宇宙との合体ということを表しています。梵はブラフマン、宇宙であり、我はアートマン、真我、自身という意味です。

人間は病気や貧窮、人間関係など色々な悩みを持ち、楽しいことばかりでなく、苦しみながら生きていますが、それは自我が作り出したもので、真我は宇宙にあり、それは永遠に変化しません。

その真我の存在に気が付くことをすなわち悟り、解脱と言い、精神は自我から解放されて、真の自由と歓喜を手に入れることができるというのが、梵我一如の考え方です。

古代インドのヴェーダの悟りとして、ヒンドゥー教をはじめバラモン教、仏教、ジャイナ教、そしてヨガでもこの思想から成り立っていて、不二一元論という呼び方をする場合もあります。

ブラフマン・アートマンという呼び方はヴェーダ哲学での呼び方で、古代インドにはサーンキヤ哲学なども有名ですが、サーンキヤ哲学ではプルシャとプラクリティでこの真理を説明しています。キリスト教の聖書にも似たような言葉が残されており、この真理は様々な宗教において、呼び方は異なっても同一のところを目指していると言っても良いでしょう。

この梵我一如の真理に到達するためにインドで生まれたのがヨガで、ヨガでは瞑想によってこの真理に到達する方法が考え出されています。その方法はパタンジャリのヨーガスートラにまとめられていて、ヨガの修行者にとって聖典となっています。

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カテゴリー:ヨガ

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